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旅から始まる

丼と言えば、最近は「いくら丼」「うに丼」とかを食べていない気がします。
贅沢が出来ないせいもありますがね。
以前は藤が丘の「横浜銀行文書センター」斜め前に「潮(ウシオ)」と言う
北海道料理のお店があってそこのマスターやらとたまたま知り合いで
美味しい「うに丼」や「いくら丼」「ホッケの開き」「イカの丸焼き」「チャンチャン焼き」
もう本当にめちゃ旨の料理をいただいたものでした。
勿論その頃は皆で(何人かで)行くと量が丁度好いので行ってたものでしたよ。
決して一人では食べ切らないものばかりでした。
北海道から空輸で毎日素材が運ばれてきてそれはもう毎日賑わっていたようです。
オーナーが小樽「庄屋」だかから呼んで店を出したようでどうも2年間の契約だった
みたいで残念ながら今はそこは無いのです。確か今は「九谷焼」か何かのお店に
なっていたようです。お隣の「ノイン・シュプラーデン」にはイベントになると
美味しいケーキを買いに行きますのですが。そこも聞く話しによれば
オーストリアの洋菓子を作っているようです。季節限定で一度「薔薇」の香りのする
「チョコレート」を買って食べたようなこともあったかな~
チョコレートと言えば「リーブ・ライツ」の「生チョコ」がやはり目茶苦茶美味しいのです。
3種類あって「紅茶」「イチゴ」が大変美味しいのです。とても評判が好いので
ご贈答にどうぞ。誰に差し上げても美味しい!!と言う言葉が返ってきますので。
藤が丘の「昭和大学病院前」と「十日市場ホウタイ寺交差点近く」と2店舗でしたが
最近しらとり台の環状4号線沿いにもオープンしたようです。
昔から「ソフトクリーム」が特に美味しかったやはり「洋菓子屋さん」の跡にあります。
これからはアイスクリームが美味しくなる季節ですね・・・・・
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今やほぼ定番になってきた感のある「コールドストーン」のアイスクリームですが
一時はまっていたときがありましたが中に入っている果物が大変美味しかったですね。
アイスクリームは味はさっぱりしていたのでその味が生かされていたのでしょうか。
果物はかなり甘くしてあったような気がします。一番最初にベリーベリーベリーを
その後はバナナが入ったのとか、ナッツ入りのとか、キャラメルとか・・・・・・
昔のアイスクリームは「当たりくじ付き」のバーを良く食べていました。
溶けるのが早くて大急ぎで食べた覚えがありましたね。
いまでもたまに同じものがありました。今でも当たりはあるのでしょうか?
そうです。「ホームランバー」だったと記憶しております。
駄菓子屋に行っていたころは今では考えられないような食べ物や飲み物がありました。
「サッカリン」を使って甘さをだしていたようです。コーラも「チビッココーラ」なる安いのが
あり、皆で飲んでいました。ラムネも粉のでストローで吸うのですが
勢い良く吸い過ぎてむせ返ってしまい、粉を空気中にボワッと飛ばしてしまって
いくらも飲む(と言うよりは吸い込むかな)ところが無くなってしまった思い出があります。
まだ、たまプラに「まこちゃん」と言う駄菓子屋があったような気がします。
数年前に行って懐かしいなと思っていましたが現在がどうなっているのかなぁ~
記憶って思い出そうとしても出て来ないですね。
こうして書いたり、話したりしていると何だか次から次へと記憶が甦ってくるようです。
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最近では「アイスクリーム」も通年の食べ物になってきた感じです。
暖かい室内で食べる機会が多いせいでしょう。
住宅の室内にしてもアルミサッシュの普及や断熱材・更にはペアガラスの普及により
昔の建物とは比べものにならないくらいに住環境が良くなったようです。
ガラスは木製の窓枠にパテで固定されていて薄かったので直ぐに割れてしまいました。
良くガラスのパテの補強をさせられたものでした。
今では大変な進歩により「隙間風」の存在が薄れて行っているとは思います。
電車のドアや窓にも「ペアガラス」の使用が標準的になってきております。
メルセデスベンツのSクラスなどもペアガラスになってきたりして
住宅に限らず皆積極的に「省エネ」モードが声高になってきております。
真冬でも「OMソーラーハウス」は春のような快適さが得られております。
「アイスクリーム」も美味しく食べられるのでしょうね。
「アイスクリーム」も好いのですが「バナナ」を皮を剥いて冷凍庫で凍らせて食べるのも
「葡萄」も凍らせて食べると意外と美味しいですね。
技術の進歩に目を見張るものがあります。
洗濯機なんぞは、私が小学生の頃は脱水機などは無くてローラーをハンドルで
グルグル回してそこに洗った洗濯物を突っ込むのです。
そうすると水が絞れてペチャンコになった洗濯物がでてくる。なんてものでしたね。
突っ込み過ぎると途中で引っ掛って動かなくなりよく怒られた記憶があります。
流石に氷で冷やす「冷蔵庫」にはお世話にはならなかったですが。
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中学・高校と私は「卓球部」に所属しておりました。
特に1年生の頃はどちらも基礎練習ばかりでしたね~
腹筋・腕立伏せ・反復横跳び・脚上げ腹筋とかをとにかく毎日毎日繰り返し
暇さえあれば校庭を何周か走らされて厳しかったですね。
球拾いのときは時間がある限りに「素振り・素振り」です。
高校のときなんかは脚がパンパンになってOクラヤマ駅の階段が上がれなくって
手摺りに摑まり、ゆっくりゆっくり上がって行くのでした。
電車を何本かはやり過ごさないといけないのです。
駅にたどり着く前には必ず皆が立ち寄る(Kホク高校の生徒でいつも満員)お店で
「チェリオ」を飲んで「ベビースターラーメン」を買って上着のポケットに入れて
歩きながらポリポリ食べて帰ったものです。結構「チェリオ」の当たりが出て¥500を
もらった覚えがありますね。帰り道の密かな楽しみでしたね。
部活が無いときは同級生と「横浜」へ出て「ダイヤモンド地下街」や「ジョイナス」で
うろうろウィンドウショッピングです。「リオ」のカレーは安くて皆で良く食べましたね。
当時は未だ喫茶店があちこちにあってコーヒー1杯で長い時間粘っていたり
知った顔が中にいると外のガラスに皆でベターッと顔を貼り付けて「変な顔」をして
ひやかしたりしたものでしたね。それも制服のままで。
私の行っていた高校は当時では珍しい「ブレザー」の制服で紺色の制服に
紺色のネクタイで徽章が「消防署」のマークと呼ばれて赤い本当に消防署のような
絵柄のマークがポツンと真ん中についたシンプルなネクタイでした。
「ハマトラ」と「アイビー」が流行っていたころですので皆結構お洒落をしていたような
気がします。ワイシャツをピンク色のものとかブルーのとかに変えて
白いカーディガンの腕に赤と青の線が入っているものを着ていましたね。
女の子が休みに穿くスカートと言えばタータンチェックの巻きスカートで
下のほうに大きな安全ピンの飾りをつけていましたね。
皆でよく横浜で遊んでいましたね。「ハマボール」はよく行ってました。休みの日は勿論ですが。
ビリヤードを国語の教師に教えてもらって(学校の帰りに先生を誘って)かなり嵌ってました。
ボーリングもアイススケートも「ハマボール」で出来るので沢山沢山遊びましたよ。
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Kホク高校の10クラスの中でも芸術選択コースが3つありまして
1~3組までは「音楽選択クラス」4~7組までは「美術選択クラス」
8~10組までが我々「書道選択クラス」を入学のときに選択をして3年間通して
それぞれの「芸術」を深めておりました。
修学旅行も1~7組までは「北海道コース」で「書道選択」組が「九州コース」と
別れて行ったのでした。書道のクラスはおとなしいと言えばおとなしいかったかな?
やはり皆字は上手でしたね。卒業してからの「年賀状」なんかを見ても
素晴らしい字を書いて送ってきていますね。男性も女性も。
何度も言いますが「字」と言うものは「バランス」なんですね~
しっかりお手本を見ていると字の持つ独特なバランスがありまして
基本をしっかり覚えておけば書いたことの無い字でも
すらすら「綺麗」に書けるのです。また、少しづつ崩していけば
行書・草書・霊書・かな等の字をかくのも楽になります。
また、字はその時の自分の気持ちがはっきり出ますので
大変面白いです。凄く緊張して書いているのや、慌しいときの字、怒っているとき・・・・・と。
一目瞭然ですね。最初はリキを入れて書き始めたがだんだん嫌になっているなとか・・・・
住宅も大工さんの腕が一目瞭然になるのですね。
だから、ポイントポイントをしっかり確認して大工さんに施工してもらえば
長年時が経っても良い家は良い家のままで変化が現れません。
それにさらに「OMソーラーハウス」を搭載すれば更に
建物を長持ちさせることが出来るのです。
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by hotel-califorunia | 2008-03-21 18:34  

旅から始まる

最近はメディアに「書家」とか言う職業の方々が登場するようになりました。
CMでも大きな紙にバケツの中の墨を大きな筆で“エイヤっ”と勢い良く書くシーンが
出てきたりと、脚光を浴び始めているようです。
昔は書道と言えば小学校の「習字」でしか皆様は習わないでしょう。
それが終わると殆どは皆様は書かないので練習にはなっていませんね。
最近では「ペーパーレス」になってきたので自分のサインや書類を書くなんてことが
少なくなって益々書かなくなってきております。
綺麗な字を書けると(特に私みたいに男が綺麗だと)皆ビックリしているようです。
基本の字の形を良く勉強していれば崩した文字も綺麗に見えるものです。
ところが基本の形を知らないと非常に醜い文字が出来上がります。
そうすると余計に書かなくなり、嫌になり、どんどん汚い字しか書けなくなって行きます。
残念です。やたらとメディアで崩した文字を披露するものだから汚い字と
きちんと崩した文字との区別が一般の方々にはわからない(理解出来ない)ようです。
まあ、芸術の世界では少し売れたりすると盛んに露出します。
あれは“絵”にしても“文字”にしても基礎があってこそ「崩しても」綺麗に見えるのです。
ところが勘違いをしている方々が多くて汚く崩した“看板”を平気で掲げている
お店が随分あるようで町並みが汚れているなぁ~と悲しみに打ちひしがれております。
「書家」も勿論驚く量の練習と見聞を広め勉強をして来た方々なのです。
字が綺麗に書けるようになるには練習を重ねて重ねて行くことが重要です。
現在の「書道教室」での教え方はどう言うやり方になっているかは良く判らないですが
やはり「墨」を一生懸命に擦って濃い墨を用意して「穂先」のしっかりした「筆」を
選び、字を良く良く見て字の動きを読み取り、勢いで一揆に書けるように
頑張って練習するべきだと思います。
皆様、文字も練習・練習・練習です。日々是練習です。
                ~310
書道の基本は「墨擦り」からです。
「墨」をするにもキチンと正座してゆっくりと擦るのです。なるべく濃く濃く擦りましょう。
「墨汁」は使わないようにしましょう。
確か桜木町の「ピオシティ」に書道の専門店があったと思いますが。
そこへ行くと「墨」も色々種類がありますので楽しみです。
初めは星印の数から選びそのうちに「墨」の名品と呼ばれるようなものが欲しくなるのでしょう。
それと筆もたくさんあります。私はどちらかと言うと太くて大きな字が好きです。
筆も良~く見ないと穂先が酷くて一回書くと途端に穂先がバラバラになってしまうのです。
だから買うときには十分に気を付けましょう。
指に穂先を当てて少ししんなりと曲げてみて穂先がバラツイて短い穂先が
バラバラ現れたものは選ばないようにしましょう。
新しい筆を下ろす時も硯にそ~っと先から沈めていき少しづつ墨(固体)で潰して
水に筆に着いている糊を溶かしながら柔らかくしていき、自分がこれから書く文字の太さを
考えながら柔らかくしていくのです。
腰が無くなってしますと字を書くのが非常に難しくなってしまいます。
下ろし過ぎたら木綿糸でギリギリ巻いて腰を作ると良いでしょう。
そんなこんなで道具一つ一つを丁寧に扱ってあげれば綺麗な字が書けるはずです。
紙もこれまた沢山の種類があってわざと滲むような字を書きたいとき
綺麗に楷書等を練習したいとき、カナを書きたいとき・・・・・・その場その場で紙も
選ぶと少々格好悪い字でも「上手く」書けたように感じられます。
だんだん上手になってくると自分の印が欲しくなります。
それも自分で彫ることで楽しさが倍増するはずです。
更には拓本など中国へ行って有名な書家の碑を写してきて真似て練習をしたくなります。
中国へわざわざ行かなくても「色々な人の文字を集めた辞典」があります。
それには私の大好きな「王 義之」先生の字も沢山載っています。
良寛様も動きのある綺麗な字を書いているようです。楽しいです。
                ~311
日本語の「漢字」は中国ではあまり良く通じません。
「台湾」へ旅行したときに「台北・タイペイ」から南へ行こうと言うことになり
これまたいつもの気まぐれ旅(昔っから行き先を細かく設定せずに旅しています)で
台湾国鉄の列車に乗ろうと中央駅に行きました。何処行きに乗れば良いのかを
ずらっと並んだ時刻表を見ながら、何となく漢字で書いてあるので
判ったのですが「自強号」に乗れば南下出来る(高雄の方では無い方へ)と言うので
切符売り場へ到達しました。そこで「中国語」を喋れない私たちは「どうしよう?」
で、閃いたのです。「漢字」で会話すればいいじゃん!
メモ用紙に「自強号」で「花蓮」へ「3枚」と普通に書いて窓口へすっ~と差し出しました。
こちらは得意満面の顔で「どうだ?!通じただろう!」と相手を見ていました。
ところが何だか変な顔をしているのです。中国語で何かペラペラ喋って少し怒った顔で
漢字のメモを指差してくるのでした。
やっと我々も気が付きました。日本の漢字は略字だったのです。
それから相手と結局「身振り手振り」でやっとのことで切符を手に入れたのでした。
看板やらホテルの字は流石に綺麗な字で書いてありましたので
当ての無い旅をするのには楽な土地でした。
勿論「香港」を何度か旅したときも喋れないのですが、何とか勝手に判断しながら
ぶらり旅が出来ました。
「台湾」で中国語の看板等で日本と違う点をガイドから聞いていたので助かりましたが。
                ~316
「台湾」への旅行は私の「始めての海外旅行」でした。
高校の同級生2人と成田を出発して
現地待ち合わせ1人(彼氏は海外旅行の達人:Kマイ君)と4人で
あての無い旅だったのでした。
航空券は「団体」の中の一員で買い求めて現地では着いた日の午前中のみ
他のお客様と一緒に観光してそれからはオプションなので自由行動でした。
ホテルも最初の日は皆さんと同じ「麒麟大飯店」に泊まりました。
次の日は「花蓮」に泊まりました。ブラブラ街中を歩きながら探したホテルです。
楽しい旅でしたね。
「香港」もKマイ君が当時住んでいたので何回か行きました。
私は平日休みだったので平日は彼のマンションから一人勝手に街中をブラブラして
歩いた歩いた!!お陰様で「香港」については“案内”が出来るくらいに詳しくなって
しまいました。しかし最近は「海外旅行」なんて何年も行っていないので
特に「香港」なんかは1997年の「中国返還」前からは行っていないですね。
昔は「カイタック・啓徳国際空港」で九龍(クーロン)の上をすれすれで
飛んでいたものが今では新しい空港になって綺麗だそうですね。
ただ街中までには距離があるからちょっと不便かも知れません。
「漢字」の世界には親しみ易い地域だったので好い思い出が沢山ありますね。
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「香港」と言えば当時は食事はちゃんと店を構えた場所で食べないと危ない。
屋台の食べ物屋さんでは危ない。と言われておりました。
“危ない”とは先ず衛生的では無いのです。現地の人達はある程度なれていたようですが
我々のような観光人では即お腹を壊すぞ!と言われていました。
ですから、友人のKマイ君のマンションを出てブラブラ歩いてお腹が空いたら
必ず食堂に入って「漢字」でメニューを判断して色々なものを食べて歩きました。
それと中国野菜は「農薬」が異常だから絶対に「生」では食べるな!と言う忠告も
Kマイ君から言われてそれを守って安全な旅が出来ました。
現在はどうなっているかは判りませんが・・・・・・
それと泊まるホテルは当時はかなり高いと言う印象がありました。
だいたい平均して1泊¥20000からでした。Kマイ君も高いからと
自分のマンションに泊めてくれたわけです。
サウナはとても安くて綺麗で安心でしたね。
今思い出すと「香港」も凄く好い場所ですね。
地下鉄も綺麗で便利で安くてとても移動手段としては良かったと記憶しています。
それとバスも安くてわかり易く便利でした。
必ず朝はバスで南の海岸の街(スタンレー)にでて海を見ながら
イギリス式ブレックファーストを楽しみました。凄く雰囲気の好いお店でした。
また、行きたいです。勿論スタンレーマーケットで安い掘り出しものを買ったこともありました。
Kマイ君に連れられて水上レストランから小船に揺られて近くの小さな島へ渡りました。
そこは本当に日本人が来ない島でリゾート感覚の島でした。
海辺でまたまた食べ物の話ですが、「えびのフリッター」が山盛りで出てきて
それを「マテウスロゼ」を飲みながらKマイ君と彼の奥さん(ルクセンブルグ人)と
ゆっくりした時間を過ごしたのを思い出しました。
凄く美味しくて沢山の量を飲み食いしましたが目茶苦茶安かったのでした。
日本に帰って来て暫くは「マテウスロゼ」にはまってしまいました。
日本で買っても¥680位と安いので結構手頃でしたね。
当時はいよいよ象牙の海外取引が条約に引っ掛り中止になるぞ!と言う直前でしたので
一緒に行った同級生達は皆「チムシャーツエ」付近のはんこ屋さん行き象牙の
印鑑を彫ってもらっていました。でもここでやはり「略字」とのギャップがあり
注文を出すのに皆苦労していましたね。「白井」と頼んだのに出来上がってみたら
「白丼」になっていたのには皆大爆笑でした。注文の仕方が悪かったのかも知れませんがね。
                ~318
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by hotel-califorunia | 2008-03-10 18:23